先日、アメフト経験者で経営者の方々の集い「CEO BOWL 2019/1/30」というパーティーに参加した。
ちょうど僕の41歳の誕生日という記念日。
アメフトを引退して20年を超えるが、それはそれは出身大学や卒業年度を超えたアメフト経験者の繋がりが凄いことに改めて気がつく。
「アメフト経験者」というだけで一発で意気投合するあの感じは、いったい何なのだろうか。笑
中でも、前後3年の先輩後輩は、年に一回発行されるマガジン付録の「選手名鑑」が手垢で黒くなるほどお互いリサーチするので、試合をせずとも、直接しゃべらずとも、お互いよく知っているもの。
今回のイベントで、当時は気軽に喋れない他校の憧れの先輩もたくさんいて、当時の熱い思いが有り有りと蘇る。
中でも僕が一番悔しい思いをした試合が、唯一秋季リーグ本番で負けた3回生の時の宿敵立命館の試合。
いまだにビデオを見返すこともない試合。
その1年間は打倒立命館で生きてきたのに、何もすることなく、不甲斐なく終わってしまった試合。
当時の立命館の主将泊氏と副将浜田氏と初めてお話することができた。
特に浜田さんは僕の対面で、1年間ずっと対戦を意識していた選手。
一学年上で非常にクレバー、スマートな感じに反発を覚えた。
20年の時を経て、お互いの当時の話をしていたら、それはそれは面白い。
お互い、そんなに喋らなくても分かちあえる。
おそらく、チームの人よりも分かり合える世界だと思う。
ボクサーが殴り合った後に、二人にしかわからないことがある、とよく聞くが、それを20年越しにできた感じ。
「あの時の重心前に置いた姿勢だと、こう読まれているだろうから、こうして、ああして」、
自分も「そうと思ってたから、こういうすれば、こうなって、ああなって、って考えてました」。
その年の東西オールスターが立命館大学戦の半年前にあり、その時にお互い同じオール関西選抜チームながら、練習で自分のネタをバラさないように直接的な対戦を避ける。
若かりし20歳くらいの選手同士が無言の勝負をしていたわけだ。
こんなことを話ししていると、当時の熱い思いがようやく開いてくる。
そして、あの時のあの感動の全てが僕の糧になっている。
そして、その感動はみんなが経験していることでもない。
僕は、その熱を授かった身だ。
長らくのサラリーマン時代、その熱さにどこか蓋をしていたようだ。
熱さの出しどころを探していたようだ。
今、コーチングというクライアントの人生に着火するこの生業を通して思うことがある。
「あなたの欲しいものは、足元に落ちている」
熱さが僕の原動力だった。
あの時の熱さを再び呼び起こして、さらに沢山の経験と影響力を持って、さらに大きくそして広く伝えているだけ。
持っている熱いものにただ火を付ける、それだけ。
41歳の誕生日、最高にありがたいGIFTを与えてもらった日だった。
イベント関係者の方々、参加者、アメフト関係者、そしてここまで生かしてくれた全てに感謝。
玉本
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