父親が他界した。
最期はあっという間に息をひきとった。
コロナ環境にあって、
幸運に恵まれ、
2度も病室に入って直接会うことができた。
親父の人徳か。
もはや話は自分からの一方通行。
聞こえているのかどうかもわからない。
もう息をしていない親父と自分の二人きりで
話をする時間も十分すぎるほど取れた。
振り返ると、
オトンと多くはしゃべってない。
たまの手紙やハガキが届く程度。
でも、いつでも愛情は十分感じていた。
まったく遠方同士でも問題なかった。
オトンは、もっと喋りたかったかもしれないけれど。
オヤジに甘えたいとも全く思ったこともない。
まったく好きにやらせてもらった。
本当の愛というのは、
あるものと感じさせるようなものではないのだろう。
独立3年に近くなったころ、
「初心忘るべからずやな」
と言われドキッとしたのを覚えている。
昭和のモーレツサラリーマン。
モーレツ営業部長。
オフィスで毎日タバコ2箱は当たり前。
メールが導入される職場で、頑なにPCを拒んだ。
さすが筋を通す親父、その代わり、
部長自ら外からの電話応対をする。
40年近く一社で勤め上げた。
家族を放って仕事しているようなオヤジが、
年が取るにつれて家族との時間を大事にするようになった。
姉が見つけたのが、
家の机にあった父親の書いたエンディングノート。
着々と自分の最期を準備していたようだ。
葬儀の手順、費用、喪主、遺骨の収め方、お墓の指示。
あまり見ない満面の笑顔のカラーの遺影写真まで完璧に準備。
戒名まで自分で決めてしまっていた。
しかもまだ生きている母のものまで。
「人様に迷惑をかけない」
オトンの一貫した行動規範。
一方、その割にエンディングノートは書き途中。
生きる希望を残したかったか。
エンディングノートの冒頭ページの言葉。
「家族の縁は特別なものです。
縁があって結婚し、
縁があって親子になったことを心から喜び、
感謝しようでは、ありませんか?」
疑問形だ。
威厳と規律、
本当の自分、
生きる希望、
家族への願い、
全てが見えたようだ。
最後まで筋を通し、綺麗に終わる。
父の冷たい頭をさすりながら、
頭触るのなんて最初で最後だったことに気付いた。
@東京に帰る新幹線にて。
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