探求熱心なクライアントからの質問に、はっとさせられました。

  

「ステートファーストを読んでおもったのですが、「人に貢献することが使命の前提」って、なぜですか?

貢献しなくても使命の場合はあるのではないのでしょうか。そこの議論をしたかったんです。」

ただ、本当にこれくらい著書を掘っていただけると、ありがたく、腕まくり状態になります。

  

この深さになると、何を信じるかのレベルになるので、こちらにもコーチングの域を脱して明確な主張が必要。一個人としての意見を述べるスタンスで臨みます。

  

玉 「「使命」「命を使う」、ですから、”命”を理解したいですね。そもそも、命は誰のものですか」

CL「自分のものです」

玉 「普通、生み出した人のものですよね?自分で生み出しましたか?」

CL「いえ」

玉 「誰が生み出しましたか?」

CL「母親です」

玉 「お母さんは、〇〇さんのような人を全て意図通りに産んでます?意図通り寸分狂わず。」

CL.「さすがに、それはないですね。そんな子に生んだためしはないと言われたことあります。😀」

玉 「たまたま今の〇〇さんになりましたか?」

CL.「はい、そうです。」

玉 「たまたまだとしましょう。そのたまたまは、いつから始まったのですか?」

CL.「人間じゃなくて、猿でもなく、魚?、ミジンコ?」

玉 「そのもっと大元の大元は、どうやってできたんですか?」

CL.「・・・・・、そういうことですね。」

玉 「ちなみに、ダーウィンの進化論の種と種の間の繋ぎの状態の骨や物体は何も遺っていません。」

CL.「・・・・・」

玉 「私は、創った御方がいると考えます。では何のため?」

続く・・・。

このチャレンジされるインテリなクライアントは、ここが腑に落ちて、いよいよブレークスルーを起こしました。
「自分の使命に気づきました。気持ちがすごく軽くなりました。」