ここで仮に質問なのですが、
「あなたのその楽しい、嬉しい、ワクワクする、という感情を私が100億円で売ってください」といったとします。
もし売ってくれたら、その瞬間からあなたは100億円を手にするけれど、幸せの感情というものを無くして、毎日毎日苦しい感情を持ちます。幸せ感情を売りますか?
ほとんど、というか少なくとも私が聞いた人全ての人は、その幸せ感情を売りません。
ということは、その幸せの感情こそに価値がある。
そして、その感情は、「幸せ」「嬉しい」「悲しい」というだけあって、何かの基準を元に起こしています。
つまりあなたの信じていること、思い込みからできている。
ということは、なぜ、そのあなたにとて100億円でも売らない感情を、
手放して苦しい感情と目標達成を紐づけて、あえて苦しい感情を手にするのだろうか。
人は感情で行動する動物であり、また、死ぬ間際も求めているものは、幸せの感情です。
スティーブジョブスの有名な最期の言葉があります。
ビジネス界の成功の頂点に登った彼が最後に求めていたものは、富でもプライドでもなく、「愛情に溢れた思い出」です。
愛情、つまり愛情という感情を手にしたかったわけです。究極的に言うと、
死の最期に物体として家族が周りにいることそのものではなく、その家族を前に、
「自分は愛し愛された」という愛の感情が欲しいのです。
また究極的なことを言うと、仮に、そこに人がいなくても「私は愛し愛された」と感じることができれば良いのです。
人は感情を求め、感情で動く。
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STEVE JOBS Last Words –
スティーブジョブス最後の言葉
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたこと、認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。今やっと理解したことがある。人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるものあなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。人生には限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある、全てはあなたの手の中にあるのだから世の中で、一番犠牲を払うことになる「ベッド」は、何か知っているかい? シックベッド(病床)だよ。
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートーナーのために、あなたの友人のために。そして自分を丁寧に扱ってあげてください。他の人を大切にしてください。
引用
出典 https://m.facebook.com
That’s the true riches which will follow you,accompany you, giving you strength and light to go on.
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なぜ、100億円を積まれても手放さない幸せな感情を、目標達成を前に手放すのでしょうか。
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